日本の医療制度

目次

日本の医療制度
  1. 「世界一」だった日本医療:何が強みだったのか
  2. 日本の医療はなぜ「安く、苦しい」のか:低負担の裏側
  3. 国民皆保険は守れるか:守るために何を変えるか
  4. 成功体験の罠:高度成長期モデルを引きずっていないか
  5. 高齢化社会で「医療の役割」を再定義する
  6. 医療費は誰が、どこで使っているのか:見えない“配分”
  7. 「医療崩壊」とは何か:現場が感じる崩壊と統計のズレ
  8. 医療は社会インフラか、サービス産業か:両方として設計する
  9. “フリーアクセス”は強みか弱みか
  10. 医療資源の“見える化”が再生の第一歩
診療報酬・医療財政・制度設計
  1. 診療報酬は誰が決めるのか:中医協を“経営言語”に翻訳
  2. 改定は“医療の方向性”をどう誘導するか
  3. 出来高払いは悪者か:なぜ日本で根強いのか
  4. DPCの光と影:急性期をどう変えたか
地域医療・公立病院・自治体医療
  1. なぜ地方の公立病院は苦しいのか
  2. 公立病院の役割はどう変わったか:歴史で見る再定義
  3. 「全部やる病院」はなぜ維持できないのか


投稿コラム

1.「世界一」だった日本医療:何が強みだったのか

かつて日本の医療は、国際的に見て「世界一」と評価されていた時代があった。平均寿命、乳児死亡率、医療へのアクセスの良さなど、多くの指標で日本は長く世界のトップクラスに位置してきた。その背景には、いくつかの明確な「強み」が存在していた。

最大の強みは、1961年に確立された国民皆保険制度である。すべての国民が何らかの公的医療保険に加入し、所得や居住地にかかわらず医療を受けられる体制は、世界的にも例を見ない完成度を誇っていた。自己負担は比較的低く抑えられ、「病気になっても医療費で生活が破綻しない」という安心感が、社会全体に広く共有されていた。

第二の強みは、フリーアクセスである。紹介状がなくても、患者は自らの判断で医療機関を選び、専門医や大病院を受診することができた。この仕組みは、早期受診・早期診断を可能にし、結果として重症化の防止や平均寿命の延伸に寄与したと考えられている。
厚生労働省が示す資料でも、日本の医療アクセスの良さは制度的特徴として繰り返し言及されている。

第三に、比較的低コストで高い成果を上げてきた点も重要である。
OECDの Health at a Glance によれば、日本の医療費対GDP比は、長らく先進国の中でも中位以下にとどまりながら、平均寿命や健康指標では上位を維持してきた。これは、医療従事者の献身的な労働、効率的な医療提供体制、地域に根ざした中小病院や診療所の存在が支えていた成果と言える。

しかし、これらの「強み」は自然に維持されるものではない。少子高齢化、医療需要の増大、医療人材の疲弊により、かつての前提条件は大きく変化している。それでも、日本医療が一度「世界一」と評価された事実は、再生のための重要な手がかりを与えてくれる。

何を失い、何を守り、何を変えるべきなのか。日本医療の再構築を考える上で、まず立ち返るべき土台は、この「かつての強み」を正確に理解することにあるのではないだろうか。

2.日本の医療はなぜ「安く、苦しい」のか:低負担の裏側

日本の医療は、患者にとって「安い」と言われることが多い。実際、外来受診や入院における自己負担割合は、国際的に見ても低い水準に抑えられてきた。しかし一方で、医療現場からは「忙しい」「人手が足りない」「余裕がない」といった声が絶えない。この一見矛盾した状況は、偶然ではなく、制度構造そのものから生じている。

第一の要因は、患者負担の低さである。日本では原則3割負担、高齢者ではさらに軽減された負担が適用される。これは国民皆保険の理念に基づく重要な成果であり、受診抑制を防ぎ、医療アクセスを確保してきた。しかしその反面、「必要性の低い受診」も制度的には排除されにくく、医療需要は常に高止まりしやすい構造となっている。

第二の要因は、保険財政の制約である。少子高齢化が進む中、保険料を支払う現役世代は減少し、医療を利用する高齢者は増え続けている。結果として、公費投入や保険料引き上げで何とか制度を維持しているが、医療全体に十分な資源を投入できる状況にはない。
OECDの医療支出データを見ても、日本はGDP比でみた医療費が先進国の中で突出して高いわけではなく、「限られた財源で広範な医療を提供している」国であることが分かる。

第三の要因は、医療提供体制へのしわ寄せである。患者負担を上げず、財政も厳しい中で制度を回すため、その調整弁として機能してきたのが医療現場だった。診療報酬は抑制され、医師・看護師・コメディカルの長時間労働や献身によって、医療の質が支えられてきた側面は否定できない。
厚生労働省の制度解説資料でも、日本の医療は「効率性が高い」一方で、「人に依存した構造」であることが示唆されている。

重要なのは、これらが単独の問題ではなく、「同時制約」として存在している点である。患者負担を下げ、保険財政を抑え、なおかつ医療の質を維持しようとすれば、その負荷は必然的に医療提供体制に集中する。この構造を直視せずに、部分的な改革を行っても、問題は別の場所に移動するだけである。

日本の医療が「安く、苦しい」理由を理解することは、誰かを責めるためではない。次の段階に進むために、どの制約を緩め、どこに社会的合意を形成するのか。その議論の出発点として、この構造的理解は欠かせない。